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要 宏輝のコラム

見出し

 4月号から6月号まで3回に分けて、協同組合と「関生型運動」について掲載します(機関紙部)。

 
ア.生コン業界の構造問題と労使関係 

「我々生コン業界は、セメントメーカーというトラとゼネコンというライオンに囲まれた草食動物のシマウマみたいなものです。(労働組合の力も借りて)大同団結して闘うしか残された方法はない」(1994年、松本光宣大阪広域生コンクリート協同組合初代理事長)。松本理事長が指摘するシマウマ・・・経営者会と協同組合、メーカー直営社と専業業者、アウト社(協同組合未加入社もしくは員外社という)とイン社(加入社もしくは員内社という)、そして労働組合のある事業所と未組織の事業所・・・実に様々なシマウマが無秩序にひしめいていた。

 この業界をガバナンスする「最適解」が、①中小企業等協同組合法(「中協法」と略す)にもとづく協同組合の広域化と、これと並行した②産業別労働組合の組織化であった。生コン業界の労・使が紆余曲折を経てたどり着いたのがこの「解」だった。

 80年代前半から90年代前半の「暗黒の10年」(某生コン企業経営者の言)。それは関生にとっても第一次刑事弾圧(1982年)と共産党による組合分裂、経営側の攻勢の三重苦の「苦難に満ちたトンネルの時代」であった。一つの本のタイトルにもなった「嵐は若木を鍛え、育てる」は武委員長が好んで使うフレーズだが、苦難の時代にあっても武委員長持前の楽観性が生き生きと脈打ち、展望を切り開く。

 その後、連帯・関生と協同組合はそれこそ共同して、新たな協同組合実践の取り組みを進めてきた。そのことは、以下の生コン産労の坪田委員長の話しで明らかだ。――「生コン業界の発展・安定のための政策課題を推進し、そのリーダーシップを発揮してきたのが連帯労組であり、武委員長である。労働組合が業界安定に全力で取り組み、成果がでてくると、政界や経済界が国家権力を利用して活動を妨害し、業界環境を破壊しようと画策、第二次刑事弾圧(筆者注記:2005年1月13日武委員長らの逮捕、1年2ヵ月におよぶ長期勾留)も正当な組合活動に対する不当な介入であり、生コン会社に対して協同組合へ加入するよう要請することは組合活動の範疇であり、怒りをもって抗議する」(2005年1月23日 於エルシアター「関西地区生コン支部にかけられた業種別運動つぶしを目的とした不当弾圧に対する緊急抗議決起集会」における坪田健一生コン産労委員長の主催者挨拶)。

 
イ.初期、生コンの協同組合実践はどうであったのか
 
 協同組合は法がなくても作ることはできる。デンマークには最近(2010年)まで協同組合法は存在していなかったが、同国の酪農協同組合は世界的にも有数の発展をしてきた。日本でも、初期の信用組合、製茶組合、生糸販売組合も同様であった。協同組合運動は実践が先行し、協同組合法が後から生まれた。戦後、農業協同組合法(1947年)・消費生活協同組合法(1948年)・中小企業等協同組合法(注1:中協法と略す、1949年)ができ、協同組合運動の発展を促進した。

 「中協法」の施行は1949年だが、生コンの工業組合・協同組合が設立され始めたのは、1964年の大不況の後である。関西で生コン協同組合が最初にできたのが、1970年の紀南生コンクリート協同組合(10社・11工場)、これを皮切りに70年代に次々と15の協同組合が設立されている(中小企業組合総合研究所編「関西生コン産業60年の歩み 1953~2013」p80)。この時代の事業協同組合の設立は、70年代半ばをピーク(製造業全体で71%が雇用調整を実施)とする産業合理化の嵐のなかで不況業種に指定された業界は「基本問題委員会」を設置し、行政指導の下に生産制限・価格制限・設備制限・設備廃棄(廃棄された設備・機械等は国が買い上げた)などの不況カルテルを実施した時期と軌を一にしている。

 業界を所管する行政は不況カルテルの実施を円滑化するために、協同組合をふくむ事業団体の組織化を促し利用もした(「大阪社会労働運動史」第6巻、拙稿「産業合理化と雇用確保」p304)。生コンも不況業種指定を受け、そのために「形だけ」の協同組合も作られたのだろう。

ウ.協同組合実践への本格始動

 以下、「告発!逮捕劇の深層」(安田浩一著、アットワークス刊)の第6章「生コン産業〝冬の時代〟」から要約引用する。――「暗黒の10年」の半ばの89年には、関西各地の形式だけの協同組合は崩壊の兆しを見せてきた。アウトとインが拮抗し、アウトの値下げ戦略にインが対抗、激しい価格競争が勃発し、体力の乏しい企業が倒産の危機を迎える。競争激化や工場増設によって生コン価格の値崩れ、シェア低下、さらに経営側内部対立も加わり、もはや協同組合の存在意義を失っていた。協同組合の「協同化・協業化」の最低の機能をどこの協同組合ももちわせていなかった。

 90年代初頭、関西生コン業界は業界始まって以来の危機を迎えた。生コンの価格は下落の一途をたどり、一立米当たり一万三千円程度で70~80年代に推移していた生コン価格が実勢で七千円程度になり、売れば売るほど赤字が出る「逆ザヤ」現象になり、倒産や工場閉鎖が相次ぐ。中小がひしめく生コン業界は限られたパイのなかで苛烈な競争を繰り返すことによって疲弊し、「崖っぷち」と称される凋落を経験することになる。

 そんな経過のなか、一条の光が射(さ)してきた。2003年5月に開催された「関西生コン創業50周年記念シンポジウム」、これが真の「協同主義」との出会いだった。

 講師の百瀬恵夫(明治大学名誉教授、協同組織論の第一人者)の話しは、「生コン産業は受け身の産業で売り込んで需要の増える産業ではない。需要が減り、苦しくなればなるほど、協同組織というものを生かすべきである」。自社の利益追求に走り、業界共通の理念=協同主義を持たなかったことが近代化を妨げ、働く労働者の雇用と労働条件を脅かしてきた。百瀬の講演は関生支部の想いと重なった。90年代初頭、「崖っぷち」と称される業界の凋落を経験した関生支部は、以降、確信をもって協同組合の強化・拡大という政策運動を進めていく。 


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エ.協同組合の困難性 

 協同組合は長い歴史のなかでいくつもの困難に遭遇しては創造的な協同組合実践で自らの能力を押し上げてきた。とはいえ、その事業と運動には克服されなければならない課題や問題が内外から矢継ぎ早に現れ、協同組合を追い詰めることもしばしばある。

 一つは、2008年リーマンショックの世界同時不況のように協同組合に悪影響を及ぼすケース。

 二つは、グローバリゼーションに関係するが、成長と合併による大規模化は協同組合の特質である「非営利性」と「民主的性格」を希釈化させ、事業と組織において旧弊(資本主義的私企業体質)が構造的に温存され、これが頭をもたげてくる。大阪広域協同組合は、1994年、業界が関生ほか三労組「政策協議会」に協力を求めて設立され、現在、164社・189工場の日本一の協同組合になったが、早速に大規模化の弊害が生まれている。

 三つ目は(これが最も重大視さるべき)、協同組合主義が一貫して追求してきた課題、つまり、商品の生産や流通領域における計画化や調整能力を失い、組合員(企業)や就業員(労働組合員)それに他のステークホルダーのニーズや要求に応える能力を次第に消失していく状況を生み出すもので、協同組合の実体を足元から失っていくケースである。これを失うとどうなるか。最も恐れる事態が生起する。

 今回の、大阪広域協組一部執行部のひき起こした、常軌を逸(いっ)した「労組攻撃」もそれにあたる。生コン価格引き上げの成果を下請けの運送業者やバラセメント輸送協同組合つまりステークホルダーにも還元することは協同組合運動にすれば真っ当な事業である。

 本事案が「すでに要求済み」であることは当事者間で争いのない事実。労使間の協議手続きや「平和条項(※注2)」が争点になっているようだが、「要求不履行」の事業所でその履行を求めて行った、12月12日~18日間のストは「加害目的の抜き打ちスト」には当たらない(外尾健一「労働争議」p56)。ストの結果、奈良・京都・滋賀・和歌山・大阪兵庫生コン経営者会との間で、大型車一日最低五万五千円の運賃引き上げで合意が成立した。

 そして、合意せず、合意を快(こころよ)しとしない大阪広域協組の一部執行部が、昔の暴力団のシノギのような、レイシストの「ネット・ウヨ」との「協同」に狂奔している。

 競争原理と連帯原理の違いはなにか、協同組合の基本理念を心得ぬ者が求める「正義の鉄槌」(大阪広域協組HP「3月度対策本部長ご挨拶」)とは一体どんなものか?


※注2の注釈は次号掲載

  【 くさり4月号より 】

 
 筆者プロフィール
 
  要 宏輝  かなめ ひろあき
 
 1944年香川県に生まれる。
<運動歴>1967年総評全国金属労働組合大阪地方本部書記局に入局/1989年産別合併(第一次)で全国金属機械労働組合になり、1991年に同大阪地方本部書記長/1999年産別合併(第二次)でJAM大阪副委員長、連合大阪専従副会長/2005年定年後、連合大阪なんでも相談センター相談員/2009年1月連合大阪訴訟(大阪府労働委員会労働者委員再任妨害、パナソニック偽装請負批判論文弾圧、「正義の労働運動ふたたび」出版妨害、不当労働行為企業モリタへの連合大阪会長謝罪事件の四件の人格権侵害等訴訟)/2009年5月和歌山労働局総合労働相談員
<公職等>1993~2003年大阪地方最賃審議会委員/1999~2008年大阪府労働委員会労働者委員
<著書>「倒産労働運動―大失業時代の生き方、闘い方」(編著、柘植書房、1987年)/「大阪社会労働運動史第六巻」(共著、有斐閣、1996年)/「正義の労働運動ふたたび 労働運動要論」(単著、アットワークス、2007年)/「ワークフェア―排除から包摂へ?」(共著、法律文化社、2007年)など
<最新の論文等>「連合よ、正しく強かれ」(現代の理論2009年春号)/「組合攻撃したものの法的には負けっぱなしの橋下市長」(週刊金曜日2015.2.6号)/「結成28年で岐路に立つ『連合』」(週刊金曜日2017.8.25号)など

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