(1994年11月発行「風雲去来人馬」より)


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第2章 政策課題と産別闘争の歩み


第10節 90年代の飛躍的な運動の前進をめざして
 


80年代初、集団的労使関係の〝奈良版〟

「奈良方式」といわれる奈良近代化委員会(87年7月)の発足の背景には、2年間にわたる労使紛争(第3章第5節)の解決を通しての経営者の側の変化がある。中小企業という柔い立場にある個々の経営者にとっては労働組合の掲げる反独占・経済民主主義という立場に共鳴し、独占の側からの中小を踏みつけにする収奪・攻撃と一戦を隠すために共に行動した方が企業存立の条件をつくるという認識に変わってきた事である。又、一面では中小企業がいくら独占から痛めつけられているからといっても、労組の団結力がなければ、2年間の闘争がなければそうやすやすとは労組の政策闘争にも協力してこない事も示している。
労働組合の主張している政策闘争としうのは産業構造を中小企業主導型に転換すること、ひいては日本の産業経済構造を民主化していこうという事に突き進んでいく訳である。80年代初頭に大阪兵庫工組の中で進んでいた運動と同じようなものであり、そういう運動の〝奈良版〟である。

メーカー主導の業界混乱に陥った各協組
一方の大阪兵庫工組はどうか。82年の権力弾圧(第2章第8節)を境に83年には労組との集交および労組提唱による産業政策の推進を一切反故にしてきた。
メーカー主導のもとに労組との対決を露骨におし進めてきた工組体勢の矛盾は、いまや工組加盟の各協組の破綻となって顕れてきている(1990年)。混乱の最もひどいのは阪南協であり、安売り乱売が続いている。阪南協では1万円(リューベ当り)を大きく割り込んでしまい採算を大きく割って企業は軒並み倒産の危機に立たされている。最早、立ち直れないまでの混乱を生じている。
その混乱が東大阪、北大阪、大阪市内の各協組に広範囲に拡がっている。これら協組への各企業の結集力も当然低下しつづけ、阪南協などは該当地域の50%以下しか組織できず業界としてのまとまりもない。
セメント主導型では要求は前進しない

労働組合の側から要求が通りにくい原因はひとつには労組の組織率が低下している事である。
政策闘争が前進していた時には神戸・大阪市内・北大阪・東大阪の各地区協組内での労働組合の組織率は生コン支部だけでいずれも60%近くを占めていた。今では低い所で10%少し、高い所でも37%である。このように組織率が低下している為に企業に対して要求が通りにくくなっている。
もうひとつの要因は他労組が政策闘争を放棄して目先の利益に目を奪われてしまい、当面の自社の利益とか賃金労働条件の問題ばかりに終始していること。しかも、それすら充分にかちとれないのが実情だ。
より酷いのは、現在の協同組合をそのままでまとまりさえすれば雇用や要求が守れる(運輸一般の「生コン大運動」)としている事だ。これは我が支部の主張とは180度違う。現在の工組・協組がセメント主導型になっており、これが今の体制のまままとまるという事は労働者のクビを絞める事につながる。現在の工組・協組の体制や体質を刷新し、奈良のように中小企業主導型に変えていくという事がなければ、労働者の雇用、労働条件を前進させていく事はできない。
このように敵に対する認識と対応の仕方が我々と他労組との間では根本的に違っており、労働者の切実な要求である「32項目協定」とそれに関する大阪地労委命令(第2章第9節)についても、それを履行させるところまで工組を追い込み得ていない。

企業間競争が激化している時こそ真価を発揮

ではどうすれば今後、工組を協定履行にまで追い込んでいけるのだろうか。
何よりも第一に、大兵工組傘下の各協組における関生支部の組織率、主体的力量を高めていく事に尽きる。要求実現の近道は極端にいって組織拡大、関生支部の正しい方針にもとづく団結の強化以外にはない。
第二に、奈良で行ってきたように政策闘争というのは必ず労働者と中小企業(経営者)の共鳴を得る事ができるという確信をもって運動を強化する事である。奈良を例にとってみると県下38工場の中で関生支部の分会があるのはわずか7工場である。組織率がそれほど高くなくても運動の質と量を高めていけば政策闘争は前進可能だという見本であり、この確信をもって運動を進める事である。
第三に生コン業者自信の体質が変わっていかざるを得ない客観情勢が深まっている。過当競争体質が一層深刻化し業者同士が生き残りを賭けて安売り乱売が激化し拡がっていく。こうして各企業の体質が弱体化し、そこへ弱肉強食の資本主義の市場原理がはたらいて直系はじめ資本力の強大な所しか残らないという淘汰がはじまる。
こういう状況下で一面では労働者の雇用不安が生じるが、逆の一面では我々労組の側の団結の条件も生まれてくる。資本の側の内部矛盾の激化、競争の激化する中で、企業による労働組合への抑止力・抵抗力が弱まってくるからである。その時こそ労働組合の存在が問われてくるし、関生支部の出番だ。
こういう3つの要因で我々の要求実現は可能である。

「89春闘は『連帯』に完敗した」と経営者会議

関生支部に対する権力弾圧と日本共産党・運輸一般による分裂策動という腹背の敵によってうけた混乱に乗じて、弥生会・経営者会議は協定破棄・労働条件切り下げの攻撃をかけてから5年たった。その間、労組との対決路線をとる大阪兵庫生コン工組加盟の各協組での業界(市況)混乱はとどまる所を知らずという状態である。
業界混乱を深めるにつれて、弥生会・経営者会議が一番のより所としてきた安全保障体制が崩壊しはじめてきた。安全保障とは組合がストライキをすればその損失を協組(業界)共同で企業に保障するという制度である。
89春闘でそれがあらわになった。弥生会・経営者会議はこの4年間、一発低額回答をつづけてきた。他労組に対してこの低額回答を呑ませた上で連帯関生支部にも押し付けてきた。経営者会議の例では賃上げはゼロ回答、そして労働条件の切り下げ(年間にすると約30万円近い減収)をセットにして押し付けてきた。
それが89春闘でくずれさった。経営者会議の回答は賃上げ5千円であったのが一万円で妥結、さらに労働条件の改悪による年間30万円にのぼる被害の回復についても(関生支部だけの要求)ほぼ満額の回答を行わざるを得なくなった。
賃上げを抑制し労働条件を切り下げるというのが弥生会・経営者会議の役目であり、それが出来なくなるというのでは存在価値がなくなったという事である。経営者会議のある幹部は「今年の春闘は連帯に完敗してしまった。安全保障が崩壊してしまった」と発言した。
労働組合の側からすれば、来年の90春闘こそこれまでの協約破棄・労働条件切り下げの攻撃の中で失われた成果を全てとりもどす反撃のチャンスとなる。弥生会・経営者会議を更に追い詰めていく時期が到来したのである。

運輸一般、分裂後の実態(方針・政策・運動の対比)

分裂していった運輸一般のその後の5年近くに見るべき運動の成果はあったのだろうか。彼らの「闘い」らしいものは「関生支部憎しのデマ宣伝」とメーカー主導工組体制を補完する「生コン大運動」位のものである。
運輸一般が支部の分裂に踏み切った最大の動機は関生支部の運動が独占資本の聖域に踏み込みその逆鱗に触れ独占資本の総反撃をうけた事にある(第2章第7・8節、第3章第12節、第4章)。権力・独占総がかりの弾圧の余波をかぶりたくない一心で敵(権力・独占資本)への投降を開始した。だから運輸一般の一切の方針は闘う前に独占に対し媚を売り組織防衛に走るというものである。
(前項で触れた)弥生会・経営者会議の労働条件切り下げに対する同調がそのあらわれである。資本からの先行低額回答に闘わずしていち早く妥結し、その結果が関生支部はじめ全労働者におしつけられる〝誘い水〟の役割である。45時間残業補償撤廃の提案に対して「ヤミ出張・カラ残業のようなもの」「プレミアム(おまけ)」と迎合し、工組との32項目協定についても「あれはTTライン(工組田中理事と武委員長)の勝手な約束」であるとして工組の約束不履行に助け舟を出す。これが運輸一般の姿である。その結果、運輸一般は賃金労働条件の改善・向上を何ひとつ実現できなかった。
第二に産業政策においては、敵と見方をあいまいにして、それが独占のために行っているのか、それとも中小企業の利益のためのものか明確でない。つまり共産党の組織防衛が第一番にあって独占とでも手を組む、今の独占の支配を排除せずにその支配下の協組への結集を呼びかける「生コン大運動」血道をあげている。現行の協組のあり方や体質を問い直す事なしに品質の保証だとか価格安定とか協組の組織強化とかを方針化しているが、何ひとつ実現できていない。

闘争方針見直しを迫られる運輸一般

第三に運輸一般の方針はますます企業主義に、企業内労使協調型に傾斜しつつある。企業内運動というのは元々産別結集や地域結集のできない性格であり、しかも企業が儲かっているか否かで要求をたてる。結果として要求がとれないし権利侵害をうければ個別に集中攻撃をうけてしまい反撃もできなくなる。
要求もとれず組織も潰されるという状態で組合員大衆から魅力が感じられなくなる。だんだんと組織が先細りし、分裂当時「1000人」を自称していたのに今や500人を大幅に割り込んでしまった。
第四に運動停滞・組織激減の中でさしも頑迷な運輸一般にとっても運動方針の見直しが迫られてきた。運輸一般の先程の第12回研究集会(89年7月)では「打撃主義をとらない」というお題目のために「要求実現闘争の軽視」「企業防衛の最優先」「(労働条件切下の)常態化」「労使協調傾向」「使用者概念拡大の闘いをタブー視」するような運動になってしまっている事が議論されている(うんゆ一般『月刊TGU』292号、293号)。
「生コン支部憎し」の為にありとあらゆる悪罵を投げつけた運輸一般が資本への迎合の為に定式化した「打撃主義をとらない」方針の当然のなりゆきとして、同盟と寸分変わりのない労使協調・企業防衛主義に陥ったのである。「ストライキをやれるだけの力をつくりだすことができるかどうか」というような労働組合を名のるならば当たり前のレベルの事が大問題として大議論となっているのである。
もちろん中央の「作文」の上でだけ方針を変えたからといって直ちにストが打てたり闘えるようになる訳ではないが、分裂後、情勢にとり残された事が今日の彼ら内部での「方針見直し」に圧力をかけているは言うまでもない。

業種別運動の特性を活かし全国交渉権を

 

 

第2章 第10節 90年代の飛躍的な運動の前進をめざして の続きに続く

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